・片手袋とは何か?

 町のいたるところに落ちている片方だけの手袋。それが片手袋です。皆さんも一度はご覧になったことがあると思います。僕は小さい頃からこの片方だけの手袋が気になって仕方ありませんでした。歩いている時に見つける度、密かに「あ、またあった!」と思ったものです。
 そして2004年頃。当時出始めのカメラ付き携帯電話で、パチリと道端に落ちていた片方だけの手袋を写した瞬間。僕の中に何かが芽生え、それ以降は出会う度に必ず写真に収めなければ気が済まない、という体質になってしまったのです。2005年には「片手袋」というネーミングを考え、ネットを中心に写真などを発表してきました。
 冒頭に“町のいたるところに落ちている”と書きました。片手袋に気付いている方々も、大抵落し物のイメージがあると思います。勿論それは正しいのですが、片手袋にはもう一種類あります。それは“拾われ物”としての片手袋です。
 落ちている手袋を拾った誰かが、落とし主が見付けやすいように目立つ場所に置いてあげる。そうやって生まれた片手袋も、特に冬場などはまちのいたるところで見掛けます。ちなみに落ちている片手袋を「放置型」(写真左)、拾われた片手袋を「介入型」(写真右)と呼んでいます。
 放置型も介入型も、その背後に落とし主や拾った人の様々な物語を想像することができます。というより、それを想像することが片手袋の最大の魅力の一つなのです。

片手袋はなぜ生まれるのか?

 何故こんなに沢山の手袋が落ちているのか?そして片方だけ落ちている場合、どうしてそうなったのか?これは片手袋研究の入り口にして最大の謎です。あ、僕は片手袋を撮影すると同時に、その発生のメカニズムを研究する事もずっと続けてきました。
 研究はまだまだ継続中、というか一生かかっても謎をすべて解くことは不可能だと思います。しかし、放置型にせよ介入型にせよ、それが生まれる一番最初の原因。つまり「何故人間は手袋を落とすのか?」という事に関しては、「それは、人間にはどんなに気を付けていても不注意に陥る一瞬が訪れるから」と説明出来ます。その一瞬が訪れた時、手袋は我々の手や鞄やポケットからスルリと落ちていきます。そしてその一瞬は、注意深い人だろうがズボラな人だろうが、偉かろうが平凡だろうが、金持ちだろうが貧乏だろうが、人の属性に関係なく必ずやってくるのです。
 では、何故片方だけ落ちる場合があるのでしょうか(念のため言っておきますが、両方落ちている場合も沢山あります)?それを考えるきっかけとなる写真を二枚用意しました。左は郵便ポストの上に置かれた片手袋。右は電車の切符売り場に置かれた片手袋です。右の写真は片手袋が二枚見えますが、揃いではなくそれぞれ別の手袋でした。つまり一か所に二つの片手袋があったのです。
 これらのパターンは、何故片方だけ忘れられたのか比較的考えやすい例ですよね?ハガキを出したり、切符を買ったり手袋を嵌めたままでは難しい動作を伴う場所です。故に落とし主は片方外して、そのまま忘れていったのでしょう。
 これはほんの一例ですが、手袋が片方だけ落ちる、という事の裏側には人間の行動パターンが大きく関係してくるのです。

片手袋はどこにあるのか?

 はっきり言います。「片手袋はどんな場所にもある」。これは僕が片手袋研究を長年続けてきた上で得た実感です。本当にびっくりするような場所で片手袋と出会う事があります。
 勿論「どんな場所にも“常”に片手袋が落ちている」という訳ではありません。やはり片手袋を見付けやすい場所や地域に偏りはありますし、その偏りを探っていくのが片手袋研究の大きな課題でもあります。でも、恒常的でなく一時的であれば、むしろ片手袋が一回も落ちた事のない場所を探す方が難しいと思います。
 よく「そんな趣味を持ってるなら、下ばっかり見て歩いてるんでしょ?」と聞かれます。確かに、排水溝に挟まってチョコンと顔を出しているような片手袋(写真左)を見付けるんだったら下を向いてなきゃ難しいです。でも下ばかり見てたのでは、店舗の軒先に吊るされた片手袋(写真右)を見付けるのは難しいでしょう。つまり、人間が活動する場所であれば、どこであっても片手袋が発生する可能性はあるのです。
 片手袋と沢山出会う為には、「上を向いて歩こう。そして下も向いて歩こう。というか、右や左や表や裏側なんかも隈なく見ながら歩こう」の精神が必要です。僕はいつもキョロキョロしているので、『スキヤキ』っていうより『スキアリ』です。
 都会も田舎も山も海も屋内も屋外も、おそらく世界中どこだって。皆さん、気は抜けませんよ!

片手袋はいつ見られるのか?

 結論から言ってしまえば、一年中いつだって片手袋とは出会えるんです。左の写真は真夏のロタ島(グァムの近くの南国)、右は真冬の北海道で出会った片手袋。正反対の気候条件でも片手袋と出会う事は出来るのです。片手袋のことを人に話すと「でもそれは冬場限定の趣味だね」と言われますが、実際には全く違います。
 ただ季節によって出会うタイプに違いがあります。春夏秋は軍手やゴム手袋、冬場はファッション系の手袋を中心に軍手等もまんべんなく。また春夏秋は圧倒的に放置型が多いのに対し、冬場は介入型も放置型も沢山見られます。
 ですからやはり「片手袋の旬は?」と聞かれたら(聞かれないけど!)、冬と答えるのが妥当ではあります。何しろ冬場の片手袋はバリエーション豊かで見てるだけでも楽しいですが、夏場に出会う片手袋は車に踏まれたり雨でぐちゃぐちゃになってしまったものが中心ですからね。でも、そいつらが冬以外にも存在してくれているおかげで、僕の片手袋研究は通年行えるのですから、僕は冬以外の地味な片手袋達も大事に思ってます。大事なのは「片手袋博愛主義者」「片手袋に貴賎なし」の精神です。
 また季節による片手袋の違いに着目すると、別の大きな前提に気付く事が出来ます。つまり、手袋は「色々な危険から手を保護する機能」と「ファッションアイテムとしての機能」、二つの機能を担っているんですね。この事も季節や場所に影響してくるので、もっと専門的に研究していく時に重要なポイントとなります。

片手袋研究とは何か?

 結局私は「片手袋研究家」という肩書を名乗り、なにをやっているのでしょうか?十数年間におよぶ研究生活で一番分かりやすい成果は、片手袋の分類法と分類図を確立したことになると思います。
 片手袋の分類は三段階を経て行われます。第一段階では片手袋が何の目的で使われていたものか、第二段階は放置型と介入型、第三段階は放置型と介入型でそれぞれ発生しやすい場所や状況を判別するのです。例えば「軽作業類放置型横断歩道系片手袋」などと分類する事が可能になります。
 当初は分類図を作成したことで満足していたのですが、次から次へと新しいタイプが発見されるのでこまめに改訂していかなければなりません。さらに、この分類図におさまらない例外も数多く発見され、最近ではむしろ分類の不可能性を痛感しています。私たちが分類できるのはあくまで出会った瞬間の片手袋のみ。出会う前、出会った後にめまぐるしく変化していく片手袋の運動をすべてチェックするなんて到底無理な話です。
 こうして自分の研究の不完全さと向き合い続けた結果、若干ノイローゼ気味になってしまい、それは今も続いているのですが、片手袋に対峙する姿勢は変化しました。「私は片手袋の答えを知ろうとしているのではない。片手袋が投げかけてくる問いをより多く引き出そうとしているのだ」。
 この悟りというか開き直りをもとに、今では片手袋研究は片手袋についての研究のみならず、都市の変化や人々の生活を観察し記録していく手段として捉えています。つまり。「片手袋研究とは私の人生、人間、この地球そのものである」。うん、やっぱりノイローゼなのかもしれないですね。